イスラエル・パレスチナ問題をわかりやすく 一言でまとめると、ズバリ「土地をめぐる戦い」です。
パレスチナ問題の元凶はイギリス(英国)が作りました。世界史に関心のある方は「またか」という印象を受けますよね。
そしてパレスチナ紛争で何度も登場してきた「ハマス」は、実はイスラエル共和国自体が支援してきた武装グループです。
以下にパレスチナ紛争が作られた流れを、現代から遡る形でまとめました。また、中東に関するニュースを理解するための前提として、ぜひこちらの記事もお読みいただけますと幸いです。
誰もが住みたがる肥沃で美しいパレスチナ(今のイスラエル共和国)
現イスラエル共和国(元パレスチナ)は地中海に面しながらも砂漠も擁する多様性ある地域で、中東報道から多くの人が受けているであろう暗い印象とは裏腹に、明るく太陽が照る風光明媚な土地です。
さらに、現イスラエル共和国にはイスラム教・ユダヤ教・キリスト教の全ての聖地であるエルサレムがあります。
パレスチナはユダヤ人だけに属する土地ではない
現在「イスラエル共和国」となっている土地は、第二次世界大戦後に同国が建設されるまでは全域が「パレスチナ」と呼ばれていました。1948年のイスラエル共和国建国宣言の直前に当たる1947年のNational Geographicに掲載されていた地図がこちらです。
もともと人種的・宗教的に多様性あふれる場所だったパレスチナ
紀元前8世紀から20世紀のイスラエル共和国建設まで2800年以上もの間、パレスチナではアラブ系住民を中心にさまざまな民族(少数民族も含む)が入り混じって暮らしていました。オスマントルコ統治下でも同様に、アラビア語を共通語としてさまざまな人種・宗教が混ざり合って生活していたようです。
しかし1948年、「シオニスト運動」「シオニズム」により無理矢理ここに「イスラエル共和国」が建設され、それまで生活していた大勢のアラブ・イスラム系住民が追い出されることになります。
ユダヤ人全員がシオニストではない
ここで前置きですが、1948年にイスラエル共和国が建設されると、シオニストの呼びかけに応えて世界中から大勢のユダヤ人が「神に約束された地」(後述)を求めてイスラエル共和国に移住を始めました。
しかしこれら全員のユダヤ人が強硬なシオニストというわけではありません。
信心深いユダヤ教徒はイスラエル人でもアラブ勢に優しい
イスラエル共和国の国民の一部は非常に厳格なユダヤ教徒で、朝から晩まで聖典タルムードを勉強して過ごします。
想像に難くないと思いますが、信心深いユダヤ人は基本的に平和主義的で、多くはアラブ人に対しても友好的な姿勢を持っています。
シオニストは心優しいユダヤ人とは区別して捉えられるべき
一方でイスラエル国民の中には、宗教には特に関心のない非常に世俗的な人たちも多く存在します。彼らの中にはビジネスの才覚がある人が数多く存在し、イスラエルのサイバーセキュリティー産業や軍事産業で活躍しています。遊び方も世俗的で、週末になると若者はビーチでパーティ三昧。質素に暮らし、金儲けではなくタルムードの勉強に明け暮れる古風なユダヤ人を嘲笑する人たちもいます。
アラブ系住民に対して嫌悪感を示し暴力的な思想を持つ現代のシオニストは、このような世俗的なイスラエル人に多いのが現実です。
離散したユダヤ人をパレスチナに向かわせた「シオニスト運動」
ここで時計の針を巻き戻します。
イスラエル王国が紀元前8世紀にローマ帝国に敗れて以来、ユダヤ人はヨーロッパ諸国を中心に世界中に離散し、迫害を受けながら暮らしていました。
19世紀末になると、離散したユダヤ人(ディアスポラ)の間にユダヤ人のための国を建設する運動=シオニズムが起こり始めます。
そもそもユダヤ人国家の建設地がなぜパレスチナになったのか
シオニストがユダヤ国家を他でもないパレスチナに建設しようとした根拠は、紀元前11世紀から紀元前8世紀に至るまで、パレスチナに最初のユダヤ人の国「イスラエル王国」があったからです。
その後ローマ帝国の進出によってイスラエル王国は潰され、ユダヤ教徒は世界中に離散することになりました。そこで、シオニストたちは同じパレスチナの地を取り戻そうとしたのです。
また、旧約聖書には「神がユダヤ人にカナンの地(パレスチナ)を与えた」という一文があります。これもシオニストによるパレスチナ占領の根拠となっています。
本当にパレスチナはユダヤ教徒だけのものなのか
しかし更に歴史を紐解くと、イスラエル王国ができる以前、パレスチナにはアラブ系民族が定住していたことがわかります。
アラブ系住民からすると、紀元前11世紀ごろにイスラエル王国が建設された時に彼らも「土地を奪われた」という見解になります。
また上述のように、イスラエル王国が滅亡した紀元前8世紀からイスラエル建国までの2800年もの間、パレスチナには主にアラブ系住民が、ユダヤ教徒も含む他の民族と共存しながら暮らしていたという事実があります。
以上の歴史を踏まえると、「パレスチナの土地はユダヤ教徒だけに属する」という現代の極端なシオニスト論理には難があることがわかります。
パレスチナ問題の元凶はイギリスが作った
現代の紛争のほとんどはイギリスが原因を作った
現在世界各地で勃発する紛争の多くはイギリスが元凶を作りました。イスラエル・パレスチナ問題も例外ではありません。
余談ですが、インドが常に隣接するパキスタン・バングラデシュと軍事的な緊張関係にあるのも、イギリスが「Divide and Rule」(分割して統治せよ:まずは両者に喧嘩をけしかけて、そこにイギリスが涼しい顔で仲裁者として入り、全体の統治者となる)を実行したからです。イギリスに狙われる前は、現在「インド」「パキスタン」「バングラデシュ」とされている地域全域でイスラム教徒とヒンズー教徒およびその他の少数派民族たちが平和に共存していたのです。
中東でもイギリスは大いにやらかしました。そして本日に至るまで、当たり前のようにイギリスからの謝罪はありません。
イギリスの悪事1:ユダヤ人にパレスチナにおけるユダヤ国家建国を約束
シオニスト運動が始まって間もない頃に第一次世界大戦が始まり、主な参戦国の一つだったイギリスは大量の資金を必要としていました。
その時頼ろうと思ったのが、ロンドン・パリをはじめとするヨーロッパ各地に拠点を置いて戦争に投資しては利益を得ていた、ユダヤ系の銀行家ロスチャイルドです。
1917年、イギリスの外相(バルフォア)はロンドンのロスチャイルド家に書簡を送り、資金援助を得る見返りとして当時オスマントルコ領だったパレスチナにおけるユダヤ国家建設への支援を約束してしまいます(バルフォア宣言)。
ほぼ同時に、イギリスはアラブ側・同盟国側ともそれぞれ相反する協定を結んでいました。
イギリスの悪事2:アラブにもオスマントルコ領内(パレスチナ含む)での独立支援を約束
1915年に締結されたフセイン・マクマホン協定で、イギリスはオスマントルコ領内でのアラブ国家独立を支援するとアラブ勢に対して約束します。オスマン帝国から独立したいと考えていたアラブ勢力は喜んで協定に調印、すぐにオスマントルコに対する反乱を開始しました。
イギリスの悪事3:仏露とつるんで中東分割案を一方的に策定
イギリスがフランス・ロシアと結んだ、このサイクス・ピコ協定こそが長年続く中東の政治不安の最も根源的な原因と分析されることが多いですね。
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1916年にイギリス・ロシア・フランス間で秘密裏に結ばれたこの協定で、3国間による中東分割案が勝手に決められてしまいました。ただし、ロシアは1917年にボルシェヴィキ革命が起きたため協定を脱退します。
本協定の元ではパレスチナは「国際管理下」に置かれることになっていましたが、第一次世界大戦後の1920年にパレスチナはイラク・トランスヨルダンと共にイギリスの委任統治領になります。シリア・レバノンはフランスに委任統治されます。
ホロコーストでシオニズム支持の声が高まる
1933年前後にドイツではナチスによるユダヤ人迫害が激化し始めます。
第二次世界大戦が終戦する頃にはナチスによるユダヤ人への蛮行が世界各国で知られるようになり、ショックを受けた国際社会の中でシオニズムを支持する声が強まります。
国際連合によるパレスチナ分割決議→イスラエル共和国建国
第二次世界大戦終戦後の1947年、戦勝国を中心に結成された国際連合は総会で「パレスチナ分割決議案」を採択します。
しかしこの決議で、数千年に渡りパレスチナで暮らしていたアラブ系住民は半分以上の土地を失うことになり、強い反発が起こりました。
一方ユダヤ勢は後から来たのにいきなりパレスチナ領土の57%をゲット。
パレスチナを「委任統治」していたはずのイギリスは混乱極めるパレスチナから無責任にもトンズラ(撤退)します(これがイギリスの悪事4ですね)。
ユダヤ勢はすぐにパレスチナにイスラエル共和国を建国しますが、これを受けて第一次中東戦争が勃発。第一次中東戦争によりパレスチナは更に領土を失い、パレスチナに長年住んでいたアラブ系住民たちはヨルダン側西岸地区とガザ地区という2つの小さなエリアに追いやられていました。
57%で満足できないシオニストに追い詰められてきたパレスチナ人
着々と国土を失っていくパレスチナ人
その後も数回にわたる中東戰争および数々の度重なる武力衝突の結果、パレスチナ人は土地を失い続けてきました。
出所:https://www.palestineportal.org/learn-teach/israelpalestine-the-basics/maps/maps-loss-of-land/
ロスチャイルドやロックフェラーをはじめとするユダヤ資本に支えらえているイスラエルは今や超ハイテク軍事国家ですから無理もありません。
(私はイスラエルが今回のハマスによる攻撃を察知できなかったという当局の見解を怪しいと思っています。テクノロジーを駆使して「国境」を守っているイスラエルなら動きが検知できていたはずです。「報復」としてガザの掃討作戦を行うために、意図して被害を受け入れたのではないかと考えています。)
パレスチナ人は今や難民認定されている
イスラエルの土地からじりじりと追い出されていくアラブ系住民の多くは人口過密なゲットーのような環境で暮らし、国際連合やNGOの支援を受けてなんとか生き延びています。
2023年10月に勃発した戦争で、遂にガザ地区も完全にイスラエルに占領されそうです。
イスラエルの元外務副大臣はアルジャジーラのインタビューで「ガザを追い出された住民はエジプトの砂漠に住めば良い」と述べています(あれ?どこかのナチス政権にユダヤ人が同じことされてませんでしたっけ…)。
国民教育により一般的なイスラエル人はパレスチナへの攻撃を「正当防衛」と認識
厳格に聖典の教えを守ろうとするユダヤ教徒はイスラエル国民であっても自国によるパレスチナへの攻撃に心を痛めていることは既に述べました。
一方、強硬なシオニストでもない、古風なユダヤ教徒でもない、ごく一般的なイスラエル人はどのような認識でいるのでしょうか?
実はイスラエル共和国では国民に対する愛国教育が徹底しており、一般的なイスラエル人の多くは本当に純粋に、「ホロコースト被害に遭った先祖が一生懸命作ったこの国をパレスチナの過激派が攻撃してくるから、全力で国を守っているのだ」と信じきっています。
パレスチナの国土がほぼ全てイスラエルに奪われそうな現状、そしてパレスチナ人が難民キャンプに追いやられて虐殺されている現状を見て、みなさんはどう思われるでしょうか?
ちなみにこちらは2008年以降のイスラエル・パレスチナにおける紛争犠牲者数の比較です。レッドが成人犠牲者、ピンクが子供、グレーが年齢不詳の犠牲者になります。
出所:https://today.lorientlejour.com/article/1352614/how-many-people-has-the-hamas-israel-war-killed-so-far.html
ホロコースト悲劇の専売特許はいつまで有効なのか
「イエス・キリストを殺した民族」というレッテルを貼られたユダヤ人は、確かに何世紀にも渡りキリスト教徒からの迫害を受け、第二次世界大戦中にはホロコーストの悲劇を経験しました。
しかし現代シオニストのアラブ系住民に対する仕打ちに強い違和感を感じませんか?
そうです、シオニストたちはユダヤ人が受けてきた迫害を、そのまま無実のアラブ系住民に対して自ら繰り返しているのです。
私がイスラエルに滞在した際に最も印象的だったのは、イスラエル共和国が自国の存在を正当化するために、膨大な資金を投入してホロコーストをはじめとするユダヤ迫害の歴史を資産として構築しているという事実です。
シオニストと話をすると、イスラエル共和国は先祖が体験したホロコーストの悲劇を盾に武力攻撃や領土拡大を正当化しているという強い印象を受けます。しかし今やユダヤ人は裕福で、アメリカ合衆国の政治すら牛耳る存在です。先祖がホロコーストの被害者だったという理由で、ただの生活者であるアラブ系民族に対し迫害を続けることは正当化できるでしょうか?
ハマスをイスラエル共和国が育成してきたという事実
多くのイスラエル国民は純粋に知らされていないようですが、今回イスラエルに対し先制攻撃をしたと報道されるハマスは、実はイスラエル共和国政府の手によって育成されてきました。
75年前に国連総会がイスラエルのパレスチナ入植を決めた際、シオニストたちは当時自分達に認められたパレスチナの土地の57%では満足できませんでした。
そこで、当初からパレスチナ人の中に潜んでいた反イスラエルの過激派にひっそりと武器や資金を与え、和平が成立しないように心がけていました。これについてはイスラエルや米国の歴代政治家が数々の証言を残しています。
和平に向けての努力は潰され、和平を望む政治家は●されてしまう現実
40代以上の方は、1990年代後半にパレスチナ解放機構(PLO)の議長だったヤセル・アラファト氏がイスラエルのイツァーク・ラビン首相およびシモン・ペレス外相(当時)と共同でノーベル平和賞を受賞したことを覚えているでしょうか?
故・ラビン元首相は和平に向けて積極的に動いており、1993年にはイスラエル・パレスチナ間の国境やパレスチナ難民の処遇などについて5年以内に策定することが決められ(オスロ合意)、パレスチナにもうすぐ平和が訪れるかのように見えました。ノーベル平和賞は、この和平努力に対するものでした。
ところが、オスロ合意後まもなくラビン氏は和平に反対する過激派ユダヤ人青年の銃撃で暗殺されます。
アラファト氏も2000年初頭に「体調不良」で亡くなりますが、遺された夫人はアラファト氏が生前から毒を盛られていた疑いがあると訴えています。
パレスチナ人の物分かりが良いと、ガザの地を占領しに行けない
パレスチナの地を100%占領したいシオニストにとっては、イスラエル側でもパレスチナ側でも和平を望む勢力は都合の悪い存在でした。
和平を望むパレスチナ人は特に都合が悪かったようです。物分かりの良い国に対して軍事力による占領を行っては自分が悪者になるからです。
そこで、シオニストたちはガザに住むパレスチナ人の中に過激勢力を見つけて支援を開始。その勢力は「ハマス」となりました。イスラエルはハマスが現在の規模になるまで、75年かけて彼らに資金を与え育成してきました。
ガザに武器を持った「悪者集団」がいれば、イスラエルは大義名分を持ってパレスチナを攻撃し続けられますからね。
故・アラファト議長も、「ハマスはイスラエルによってPLOの力を削ぐために作られた」と話しています。
ネタニヤフ氏本人すら、イスラエルが直接的・間接的にハマスを支援してきたことを認めています。
現在私たちがスクリーンを通して見ているのは、シオニストがパレスチナを完全に自分のものにするために75年かけて実行してきた壮大な作戦の結果なのです。
この大きな流れを知らずに「ハマスは残虐だ」「イスラエルに支援を」と騒ぐのは愚かであるように思います。
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